Overview
Firm Values
130年以上前、トーマス・シャーマンとジョン・スターリングは、のちにビジネスおよび法律の世界で重要な役割を果たすこととなるパートナーシップを確立しました。当時最も著名な訴訟人の一人として名を馳せていたシャーマンと、伝説的な人間関係によって重役室専属弁護士の第一人者であったスターリングが手を結ぶことにより、裁判および企業法務の両分野に卓越した効果的な組織体制が作られ、それは今日にも受け継がれています。

当事務所は設立と同時に、ウォール街の有力企業や金融機関との関係を築き上げてきました。これらの関係がその後の当事務所の欧州、中東、アジアおよび南南米等の世界市場への早期進出の足がかりとなりました。今日では世界各国にある事務所を拠点として、クライアントの主要なビジネスの発展のために尽力しています。

国際的な融資のための柱の構築

第二次世界大戦後、国際的な金融業務のための法的枠組みの再構築が必要でした。国際的な融資のための最も有意義な手段の一つが1961年に導入された譲渡性預金証書(CD)でした。シャーマン アンド スターリングのパートナーであったヘンリー・ハーフィールド弁護士は、譲渡性預金証書の法的基礎および商業銀行が預金に対して利息を払う法的仕組みを生み出しました。ハーフィールド弁護士は生涯を通して革新的な金融商品に関する業務に従事しました。彼の著書である「銀行信用状と銀行引受手形 (“Bank Credits and Acceptances”)」および「信用状(“Letter of Credit”)」は現代においても権威あるテキストとして残されています。ハーフィールド弁護士の先駆的貢献は、国際的銀行業務の法的枠組みの整備に貢献しました。

5週間の貴重な経験

プロジェクトファイナンス部のアソシエイト3年目だったイザベル・サジャス弁護士は、1994年にルワンダで起こったジェノサイドの被告人達の起訴の支援を5週間に渡りタンザニアで行う機会を得ました。サジャズ弁護士のルワンダ国際戦犯法廷(ICTR)での献身的な活動は法廷検事への尊敬を反映したもので、その後彼女は、「非常に情熱的で熱心な弁護士と共に働く機会を持てたことは触発的であり、タンザニアでの5週間は私の人生観を変えるものでした」と語っています。 シャーマン アンド スターリングが2001年にICTRに参加して以来、30名以上の弁護士が検察局での起訴準備や訴訟遂行の手助けをしてきました。 彼らの多くは国際法の先駆者として国際法への理解を深め、そして人生において最も実りのある経験をして、その後各自の職場へと戻って行きました。

メリルリンチ

1959年のメリルリンチ設立で国際的投資銀行の形態は大きな変貌を遂げました。 シャーマン アンド スターリングは、メリルリンチが世界初の株式公開証券会社となるために規制障害を克服するための方法を考案しました。その結果、資本へのアクセスは大幅に増え、かつて無限責任社員であった現在の株主の責任も制限されました。20年後、シャーマン アンド スターリングは、メリルリンチによる国際的な金融機関であるホワイトウィールドの買収に際して助言業務を行いました。この買収は、のちに強力な投資銀行となったメリルリンチを特徴付ける多様性と国際的発展の基礎を築き上げました。

欧州の再興

1946年、戦後の欧州は再興に苦しんでいました。シャーマン アンド スターリングはシティバンクを通してドル公債を発行した11の企業のその後を調査するためギルバート・ケルリン弁護士を欧州に派遣しました。ケルリン弁護士は欧州の主要なクライアントを連れて米国に戻り、のちにBASFやシーメンスなどが米国市場に再び足を踏み入れる際に援助を行いました。また、当事務所は40以上のドイツ企業と14の地方自治体が関与するドイツの外部負債の整理にも携わりました。更に当事務所は、多くのドイツ企業から占領機関による会社分割に対抗するための仕事の依頼を受けました。

タイタニック訴訟

シャロット・カルデザは1912年の“絶対沈まない”と言われていたタイタニック号の大西洋横断中の事故で生き残った700名の生存者のうちの一人でした。 ニューヨークに戻った後、カルデザ氏はシャーマン アンド スターリングのジョン・カーバー弁護士にタイタニックの金庫に入っていた家族の宝石の補償を求める訴訟を依頼しました。

世界に向けた市場の開拓

シャーマン アンド スターリングの先のパートナーのおかげで、公募とは対照的に、現在ウォール街では私募が日常的に行われていますが、これは昔から当然のように行われていたわけではありません。当事務所のパートナーでありSECの企業金融局の前局長を務めたリンダ・クイン弁護士が法文起案に関わった米国証券法144Aにより、企業は米国機関投資家に大規模な財務内容の開示をすることなしに株式および公社債を売り出すことができるようになったのです。クイン弁護士の貢献は証券取引市場に大きな進歩をもたらしました。

債務と自然のスワップ(交換)

1982年、ラテンアメリカの国々の負債返済の不履行により、世界の金融業界は破綻に瀕していました。シャーマン アンド スターリングは世界自然保護基金(World Wildlife Fund)と提携して、世界で最も重要な自然地域を維持するための債務免除と関連付けた「債務と自然のスワップ」を開発しました。債務の株式化に基づいた「債務と自然のスワップ」の手法は、ボリビア、チリ、コスタリコ、ドミニカ共和国、メキシコで利用され、その後マダガスカル、フィリピン、ポーランド、ザンビアなどに広まりました。

スターリング大学?

シャーマン アンド スターリングの創設者で先のシニア・パートナーであったジョン・スターリングが1918年に亡くなった時、彼は莫大な遺産を残しました。スターリング弁護士はエール大学に財産の残余である1,500万ドルを残しました。その額はあまりに巨額で、エール大学の大学総長は大学名をスターリング大学へと変更しようかと思うほどでした。そのお金はスターリング記念図書館、ロースクール、大学院研究ホールなどの建設に使われました。またエール大学で最も名誉あるスターリング教授職は、作家のウィルバー・ルーシャス・クロス、法学者のウィリアム・O・ダグラス、経済学者のジェームズ・トービン等、多くの著名人に与えられました。

国際的な大会

フィリップ・C・ジェサップ大会は、国際法を勉強する成績優秀な学生達に、法曹界および国際社会にとって興味がありそうな事柄について、彼らの知識およびプレゼンテーション能力を試す場を提供しています。学生達には、アイディアや視野を交換するための異文化環境の中で、国際法の分野で必要不可欠な考え方を育む機会が与えられます。当事務所のグローバルな発展と国際法の分野での経験から、当事務所が本大会のスポンサーを務めることはごく自然のことだと言えます。

商標訴訟での勝利

1903年に、シャーマン&スターリングはこの手のケースでは初めてとなる商標訴訟において勝訴し、会社名が会社自体と同じように価値があることを裁判で認めさせました。今日では当事務所の知的財産部門はアウトソーシング、M&A、ジョイントベンチャー、戦略的提携、ライセンシング、特許、商標、企業秘密、著作権およびインターネット関連の案件を幅広く取り扱っています。

長期有給休暇制度(サバティカル)

シャーマン アンド スターリングの財産部門のアソシエイトであったジェフリー・サリンガー弁護士は、環境法における自身のバックグランドに触れるためアフリカに渡り一ヶ月間アフリカ保護信託 (African Conservation Trust) で働きました。彼はサバティカル期間中、マラウィ湖西岸への生態学的影響についての統計調査のためにカバを数え、観察し続けました。役員報酬および従業員福利部門のアソシエイトであったエミー・ギットリ弁護士は、サバティカル期間中、事務所のクライアントのためにブロードウェイ演劇の「イマジナリー・フレンド」(Imaginary Friends) に従事しました。エミーはトニー賞受賞者のチェリー・ジョーンズとスウォージー・カーツも出演する演劇の製作アシスタントとして働く貴重な機会を得ました。

フランスへの進出

シャーマン アンド スターリングは1963年に、初の海外事務所をパリに開設しました。翌1964年には、ユーロドルの売り出しを行う初の民間企業の引受人の代理を務めました。その後数年の間に、当事務所は、アルジェリアの国有石油・ガス会社であるソナトラック関連の業務で中東における大規模なビジネスを展開しました。今日では、米国、英国、フランスおよびドイツ法に精通した弁護士を抱え、世界中に20事務所を擁する事務所にまでに成長しました。最近では、中国の上海に事務所を開設しました。

ミクロローン

シャーマン アンド スターリングは2003年に、アフガニスタンでの10の村落銀行の小額融資プログラムの発展のために、国際地域社会援助協会 (FINCA) へ寄付を行いました。最初の融資は、ささやかな在宅ビジネスを始めるための資力さえ殆ど持ち合わせていない、イランの難民キャンプから数年ぶりに自分の村へ戻ッて来たファティーマ・モハマッド・ムサーらの女性に対して行われました。当事務所の弁護士は、今日においても世界各国から、様々な企業関連業務でFINCAを支援しています。FINCAは現在、世界22ヶ国で低収入労働者に対して小額融資を実施しています。